安徳 瑛 家系図
安徳 瑛は生前、画廊シェーネの主に、
幼少期の美術体験に関する思い出を、色々語る事はあっても身内の家系に
ついて殆ど語る事は無かった。
ある時、自分の身内には、「杉谷雪樵」と言う名の日本画家がいると
言うことだけ聞いた覚えがあるが、安徳 瑛は、私同様に、
家系などと自分の今日を結びつける意識は、
毛頭無い様子であるので、私も深く調べることもなく過ごして来た。
安徳没後、お母様(現在既にご逝去)が、ご健在の内に,安徳の
幼少期のもう少し具体的な話を聞きたいと思い、ご自宅に伺った時に、
お母様が記憶しているお身内の話をお聞きして、図にしたのが、
下記の家系図である。
お母様の話に依ると、安徳 瑛の幼少期の思い出として、
当画廊が刊行した安徳 瑛初画集の年譜(安徳自身が年譜のために
書き下ろした原稿に基づいて作成)に記載の通り、父親から
アルマイト製の絵具箱を買ってもらったのが嬉しくて、そのころから
絵を描くことに夢中になっていったと語っていた。然るに
父親は、余程早くから安徳の才能を見出していたのだと思われる。
安徳 瑛は、自分の才能と家系を結びつけることは全く無かったことは、
前述した通りだが、顔立ちは母親そっくりだし、母親の父方の祖父
(長谷 検校)並びに母方の祖父の兄弟(大伯父・杉谷 雪樵)を見ると、
安徳 瑛が、血縁者達の才覚と無縁であるとは思われない。
注)
安徳 瑛から見て曽祖父に当たる母親(長谷春子)の父方の祖父は、邦楽の世界で著名な 三弦師
「長谷検校(幸喜)」であり、安徳から見て曽祖父(杉谷)の兄弟つまり母親(長谷春子)の
母方の大伯父・日本画家の「杉谷雪樵」は、熊本藩最後の御用絵師である。